多様性無視という藁人形攻撃

  まず、選択的夫婦別姓反対派は現時点で反対というだけで、議論すればいいと考えていますし、アタマから反対なわけでもありません。もっとしっかりと、現代における家族のあり方、性倫理、親や社会の育児への関わりなどを検討した上でないと、単なる放逸、退廃になるんじゃないですか、と言っているだけです。

   しかも、後述しますが、慎重派は進歩主義を取らないので、社会は必要に応じ、必要な慣習を形成し、収斂していくと考えています。つまり、自然で、自由なわけです。「存在するものは合理的である」ヘーゲルの言葉です。

  他方、また独立の項で詳しく述べますが、選択的夫婦別姓推進派の主力であるジェンダーフリー運動の方々は進歩主義で、理想社会の建設に燃えておられます。女性が自立した理想社会というものが確固としてあるので、民間の風習は、古臭い非論理的なものとして存在が認められません。彼らが主流になれば、彼らの理想に反するもの、例えば、ひな祭りを祝う自由もなくなることでしょう。選択的夫婦別姓推進派は選択的といいながら、自由を認めない純化思想に繋がるリスクを秘めています。

  彼らの手法も、これだけ多数の国民が反対している制度を民主的コンセンサスもなしに訴訟で変えようとしたり、いきなり法案の議決を迫ったり、極めて非民主的です。とても穏やかに話し合おうという態度ではありません。