青野氏らの軽薄さ(2)

  Tontonjyoにヘーゲルは難しいでしょうが、個や自己について解説します。選択的夫婦別姓推進派が勘違いしているのは、姓名は自己にとっての名前ということで必要なわけではないということです。名前とは、自分の中ではなく、第三者・他者との関係性においてのみ意味があるものです。もし、世界に自分しかいなければ、名前は不要なのです。

  となると、姓名の「姓」については、それが他者にとって何なのかが重要になります。可能性は三つ。

①家族の名前→同姓

②血統の名前→別姓

③いずれでもない(個人)→「名」の一部。「姓」としては不要

  選択制は③なので、論理必然的に姓は不要という設計思想となります。

(姓を急には廃止できないので、過渡的に選択的夫婦別姓という整理はありえます。)