閑話休題:青野氏の疑問に答える

  青野氏も少しは反省したようでRTでこの問題を感覚が合う、合わないの問題であるという理解に転換してきたように見えます。そうですね、規範的な問題の正しい誤っているには、基準がないので、好きor嫌い、合うor合わない、の方が誤解がなく、いいと思います。

  さて、青野氏が感覚が合わないとされているのは、「具体的に改姓手続きで困る現実的被害」と「あるかどうかも定かでない家族制度への影響」を天秤にかけて、現実の被害より抽象的な利益を重んじる我々のことです。

  さて、具体的現実的利益は抽象的観念的利益を上回る、という議論は適切でしょうか?

  例えば、空腹で困っているホームレスがいたら、行政が食事を提供すべきか?

  確かに具体的現実的利益からは食事を与えるべきとも言えます。しかし、空腹な人は行政に頼れば、食事を提供してもらえる社会になると、何が起きるでしょう?働かなくても、困ったら助けてもらえる。

  制度はインセンティブ設計であり、人はインセンティブに反応する。働いても働かなくても同じになれば、誰も辛い仕事はやらなくなります。具体的現実的利益を優先することで、「自己責任」という原則の抽象的観念的利益が破壊されるのです。

  このように、改姓手続きで困る人の利益が具体的現実的だからと言って、氏名、家族、結婚制度によって守られている利益に優越するという理由には全くならないのです。

 

※ここでは生活保護生存権は議論範疇外です。