進歩主義はなぜいけないか?(2)

  ここで、ジェンダーフリーの方々、進歩主義の方々が、なぜ今の思想にたどり着いたか、考えてみましょう。ジェンダーフリーの方々は、いや公平に、ジェンダーフリーの方々だけでなく、我々はすべからく生まれながらに思想や価値観を持っている訳ではありません。子供の時からの教育、環境の中で何らかの思想価値観を持つようになるのです。「いや思想を押し付けられたのではない。自分の頭で考えた」と主張する人は多いでしょう。しかし、北朝鮮に生まれるのと、日本に生まれるのでは、自ずと物の考え方は違ってきます。

  もちろん、言論統制された北朝鮮の教育は洗脳だが、日本では報道の自由もあるので、洗脳ではない、我々の思想価値観は我々が知った事実の中から我々が選びとったとも言えます。それでもなお、我々が受ける教育、報道は現代日本の価値観の枠内のものであることは否定できません。我々は自由、平等、民主主義、多様性、そう言ったものが正しいと教えられてきました。そして、それは何故かと言うと、ポツダム宣言受諾により、GHQが我々にそれらの思想を押し付ける権力を得たからに他なりません。戦争に勝ったアメリカの価値観を受け入れた。

  私はそのこと自体に文句を言うつもりはありません。ただ、「勝てば官軍」なのか「正義は勝つ」なのかと言えば、最初に申し上げた通り、(勝ち負けを抜きに考えて)何が正しい社会か、などと言う問いに答えがない以上、「同じことだ」と言う他ない。勝ち残る思想を正しい思想とするしかなく、「正義は勝つ」という命題は定義上、常に成立するのです。

  ジェンダーフリー進歩主義の方々は「じゃあ、お前は自由や平等や民主主義の方がいいと思わないのか?単に権力で抑えつけられて従っているだけか?」と問うでしょう。それは、もちろん、科学技術、経済、軍事力、衛生、医療、長寿にも繋がり、有利な体制ですし、反逆する理由はありません。しかし、自由がいい、平等がいい、という命題の根拠を問われた場合、突き詰めれば、トートロジーに陥り、「命題自身には根拠はない。ただ、そう信じているだけ」と答えるしかありません。

  ジェンダーフリー進歩主義の方は「そうだとしても、生存競争を勝ち抜いた自由、平等、多様性を善として、目標にするのが何がいけないんだ?」というでしょう。

   しかし、ジェンダーフリー進歩主義の方が適者生存を根拠にするのは、矛盾してないですか?