進歩主義はなぜいけないか?(1)

  さて、ジェンダーフリー社会を目指す方、その他、改革を目指す方は、私が進歩主義はいけないと言っていることにピンと来ていないと思います。「性差に関わらず、自由に平等に生きられるのがいいに決まってる!」「LGBTの権利について、日本は遅れている!」とお怒りのようです。

  そう。ジェンダーフリーの方々は暗黙のうちに、できるだけ自由で、平等なのが、「より進んでいる」「よい社会なのだ」という前提を置かれています。

 しかし、そもそも「よい社会」「進んだ社会」とは何でしょう?これが「社会」や「人間」を評価するのではなく、「物」を評価するのであれば、定義は比較的簡単です。物のよい悪いは、その物の用途によって決まってきます。「よいハサミ」とは「よく切れるハサミ」のこと、「よい家」とは「広くて快適な作りの家」のことでしょう。

   しかし、こと「社会 」や「人間」については、用途が決まってないので、何を以て善し悪しとし、何を進歩と呼ぶか、一義的には決まってきません。

  ここで、進歩主義者の誤解の元となる自然科学の有名な理論が出てきます。ダーウィンの進化論です。適者生存の原理である進化論では、生物がより進んだ形態に進化していくとなっているので、これを社会に当てはめた進歩主義者は社会も新しい形態に変わっていくのは進化と考えたわけです。